インターネットを通じて、世界をより良くする。
僕が生まれたのは1977年です。社会のことや世の中のことが理解でき始めた中学生や高校生の時代を、日本の一つの成長の時代が終わり、横ばいと下り坂を繰り返す1990年代に過ごしました。そういう意味では、成長する時代を体験していない、日々縮小する日本しか知らない世代の始まりなのかもしれません。 そういう1990年代に入り、時代が世の中の雰囲気を変えていく中で、当時の僕には、それに大きな違和感を感じました。努力しても意味が無い、いかに楽に過ごすかが全て。どうせ何も変わらないから、頑張るだけ馬鹿らしい。悲観的なシニカルであることが賢いことで、建設的で前向きであることが愚かであるような、社会や他人の批判と批評を繰り返して問題点はあげていくものの、自分では責任を持って解決に向けた行動をする訳でもない、そんな雰囲気に包まれていたように思えたからです。
そんな考え方に疑問を感じながらも、だからどうすべきだという答えを持たない中、僕はシリコンバレーやインターネットと出会い、人生を変えるほどの強い衝撃を受けました。
まず、驚いたのは、そこで生きる人の生き方であり、それを支えるシリコンバレーに流れる哲学や価値観です。それは、日々の違和感を感じていた僕に、進むべき道を指し示してくれました。
当時、アメリカでもインターネットは一般には全く普及していませんでしたし、今のようにネットワーク社会になりウェブやメールが普及するというのは、車が空を飛ぶ時代が来るらしいというぐらい、ある種の夢みたいな話でした。ただ、シリコンバレーではそんな可能性に賭けて、NetscapeやYahoo!が事業化され、そのニュースが僕の目に留まりました。
そこには、会社のほとんどが若者ばかりの、当時の僕からみても、若い未成熟な、経験も実績も無い危なげな若者たちの姿がありました。そんな彼らの姿は、一般的にいえば、それは単なる辛く苦しい不遇な環境に見えるのかもしれません。狭いオフィスの中で深夜まで働き、冷えたピザとコーラのような侘しい食事を毎日食べながら、よれよれの服を着ながら机の上で寝てるような姿でした。ただ、彼らの目は、そんな環境と対照的であるかのように、自分が今までの人生で全く見たことの無い輝きに、あふれていました。
その若者たちは、これから誰もがインターネットを使う社会を作って、印刷や電話が発明されたときのように、情報発信やコミュニケーションのあり方を変えるんだと、人類の歴史の転換点の一つを生み出して、社会や世の中を変えようとすることなんだと、そのために働いているんだ、こういう製品が世の中に必要なんだ、と情熱的に語っていました。それは、僕の今まで知っていた、働くということは楽しくないことで、しょうがなくやらなければいけないもので、ビジネスとは卑しいお金儲けで、企業は悪いものだということと全く違う、衝撃的な価値観や物の考え方でした。
そういう想いで働き、新しいビジネスを生み出すことで、未来の社会を自ら創造する、そのために努力や挑戦をいとわない、というシリコンバレー的な価値観や哲学に、僕はまさに魅了されました。僕も彼らのような生き方がしたい、という強い押さえきれない気持ちを持ちました。それから、大学生活を過ごし、社会人になり、会社を作り、十数年その気持ちとともに毎日を過ごし、今でもそれは変わらず、それは、僕にとっては生きる意味そのものとなりました。
シリコンバレーから学んだことは生き方だけではありません。もう一つは、シリコンバレーから生まれるさまざまな技術やサービスが、僕に世の中をより良く変える方法を教えてくれました。
NetscapeやYahoo!などに続いて、将来はネットを通じた物販が普及するとして、AmazonやeBayが事業化され始めました。今ではインターネットを通じた物販は当たり前になりましたが、当時は、インターネット自体が全く普及していない訳ですから、将来は電気自動車が主流になるので今から電気スタンドを事業化するというぐらい、突拍子も無い話に思えました。物はお店で買う物で、行ったことも無いお店は信用できないから買うはずが無い、というようなある種の納得できるような話が信じられていて、誰に聞いても否定的な時代でしたが、彼らはそんな意見には目もくれず、新しい世の中を生み出そうとしていました。 ネットでのショッピングが誰でもできれば、子育てで家を出られない主婦でも病気で買い物に行けない人でも欲しい物を買うことができる、ネットでのオークションが誰でもできれば、世の中で使われずに捨てられていた物が、他の誰かに役立つ物になる。今では当たり前のことかもしれませんが、その一つ一つは、誰かがそれに無謀にも挑戦し、新しい技術やサービスとして生み出し、世の中を変えてきた歴史なのです。 シリコンバレーのそういう新しい技術を生み出したり、革新的な製品を普及させていくことで、人間一人一人の可能性を広げて、社会を効率的にしたり、人々の毎日を豊かに楽しく変えていくことができるんだ、それは絶対的にすばらしいことで、自分たちの努力でそれを実現するんだ、という哲学や価値観にも、僕は強く魅了されました。
インターネットの歴史では、たびたび、こういう物が世の中にあるべきだ、あったらいいなという小さな気持ちやきっかけが、新しい何かを生み出してきています。Yahoo!やGoogleも個人の趣味だったり小さな研究の中から、始まりました。
僕のGREEも、2003年のある日に、小さなアイディアから生まれ、新しいコミュニケーションやコミュニティで、世の中をちょっとでもより良くしたいという気持ちで、個人の趣味として、ボランティアとして始まりました。 始めてから、僕は、自分の収入の大半を使い、時にお金を借り、休みの日や空いている時間を全て使って、それに没頭していきました。多くの友達や知り合いに、なんでそんな無意味な損をすることをするのかと、何の利益があるのかと、幾度となく聞かれたものです。
ただ僕は、世の中を少しでもより良くしたかった、インターネットを通じて世の中を変えることができるんだという、自分の教えてもらったことをただやっていた、それだけでした。 シリコンバレーはAmazonやeBayに続いて、Googleが検索を変え、iPodやiTunesが音楽を変え、iPhoneが携帯電話を変えました。YouTubeやFacebookなど、世の中を今でも変え続けています。
シリコンバレーから学んだ最後の一つは、チームで新しい何かに挑戦する、諦めずに挑戦し続けるということです。
個人で運営していたGREEも利用者が10万人を超え、資金的にも時間的にも個人でできる範囲を超えていきました。どうしていいかわからず、夜も作業で寝れず、逃げ出してやめてしまいたいと思ったことは何度もありました。そんな中でも、これだけ多くの人が使っているのだから無くすわけにはいかない、続けなければならないという気持ちで、会社を作り、続けていくことを選択しました。
シリコンバレーで生まれる新しい技術や製品は、誰かが一人で生み出している訳ではありません。会社としてチームを作り、多くの人で長い時間をかけ生み出される物です。それと同じように、自分もチームを作り、新しい何かを生み出すことを選択しなければと思ったのです。
会社を作るとその日から、個人と違いなんでもうまくいくとか、どんどん素晴らしい製品が生まれるとかそういうことはまったくありません。むしろ、どれだけ自分たちが苦労したと思っても、他の努力する競合企業の製品より価値がなければ、誰も必要としてはくれません。会社になってからも、始めから、今ほど多くの人が利用してくれる物を生み出せなかったし、それを自覚する毎日でした。ただ、それでも投げ出したり、諦めなかったのは、それがシリコンバレーの歴史でもあったからです。
絶対にうまくいくと約束された訳でもないことに挑戦し、無謀なことをプラン無く始め、何の取り柄も無いようなチームが、成功するかどうかわからない不安な毎日を耐えて、成功する道がどこかにあるんだと信じて努力を止めない姿。GREEも何の未来も価値も無く、多くの人にいつ無くなるのだろうと、思われていた時代もありました。
今、何かを成し遂げている企業も、その始まりから今まで輝き続けてきた訳ではない、ということがあったからこそ、僕たちも、挫けそうな絶望しそうな状況や先の見えない中で過ごす日々でも、未来や希望を完全に失うことはありませんでした。
新しいことに挑戦すれば、何もしない人の、何倍も多くの失敗を重ねます。未知のことは、どう解決していいか調べてもわからず、途方に暮れたりします。他の人とは違うことをやれば孤独になりますし、他の人には馬鹿だ無駄だと、絶対に成功しないと毎日のように言われるのです。失敗の度に徒労を感じて空しくなり、時には誰かのせいにしたくなることも、仲間を恨んでしまうこともあるでしょう。
ただ、それでも続ける誰かだけが、新しい何かを生み出してきたのです。そういう人々が世の中を変え、今の社会や生活を生み出してきたのです。
インターネットが全てを変えていく、その入り口に我々はいます。僕は、その変化を傍観者のように受け入れ、観客として通り過ぎるのではなく、自らで新しい時代のあり方を考え、その実現に行動する人間でありたい。
未来の社会を自ら創造する、そういう歴史を作ってきた人たちから学んだように、「インターネットを通じて、世界をより良くする」ことで、社会や世の中に貢献していきたいと思っています。
代表取締役会長兼社長 田中 良和